小木地区小木町の安隆寺境内に建立されている。慶長期造営は慶長17年(1612)で大久保長安や水田対馬守政次が関係していたことがわかる史料が残る。現祖師堂は享保17年(1732)のもので、梁間3間、桁行4間、寄棟造妻入、茅葺(鉄板仮葺)である。棟梁は羽茂村山の高野甚右衛門である。
畑野地区栗野江に建立されている。本殿の慶長期造営は慶長7年(1602)である。現本殿は元禄7年(1694)再建で、三間社入母屋造平入、杮葺である。棟梁は飛田治左衛門元久であり、その先祖は大久保長安に随身して石見から来た工匠であると伝わる。
新穂地区新穂潟上に建立されている。明治34年-41年(1901-08)に社殿・能舞台新築・彫刻製作で、棟梁は新穂潟上の関口文蔵が棟梁につき、彫刻師として2代目近陽が関わる。拝殿の彫刻は密度が高く、関口文蔵と2代目近陽のほか、それぞれの弟子や本土の彫刻師などが分担して彫っている。
真野地区阿佛坊の妙宣寺境内に建立されている。文政8年(1825)に本間茂三右衛門によって造営されており、婿養子である中川金蔵と親子2代にわたって造営したと伝わる。櫓工法の五重塔で心柱は懸垂式であるが、心柱が水平材により固定される五重塔は他に例がなく極めて特異な工法を用いている。
羽茂地区羽茂本郷の弘仁寺境内に建立されている。建築年代は1800年代中期とされ、三間堂宝形造、桟瓦葺である。工匠は宮大工鴉田番匠と伝わる。境内には藤井家の遺構が複数ある。藤井家の遺構には、絵様の変遷や雇ほぞを用いた組物の技法に特徴がある。
真野地区国分寺の国分寺境内に建立されており、桁行5間、梁間4間、寄棟造平入、茅葺である。棟札には寛文6年(1666)、工匠は「大工藤原朝臣若林庄吉」とあり、建築年代が明確で佐渡島内において最古の部類に属する堂である。
金井地区千種に建立されている。昭和18年-24年(1943-49)の造営で3代目杢太郎、4代目杢太郎が関わる。本殿は、正面1間、側面2間、流造、銅板葺で、祝詞殿は、正面1間、側面3間、切妻造妻入、銅板葺で、拝殿は、正面5間、側面3間、入母屋造平入、銅版葺である。
佐和田地区市野沢に建立されている。棟札には文化2年(1805)、工匠は「大工棟梁 市野沢村 土屋孫右衛門」とある。また、明治37年(1904)に本堂改築で3代目杢太郎が関わる。欄間は墨書によると下野国(栃木県)足利郡の彫物師、小林重兵衛が日蓮配流の地を参詣した際に3枚の欄間を彫って寄付したものとされる。
相川地区相川下戸村に建立されている。本殿の慶長期造営は慶長12年(1607)で、大久保長安や水田与左衛門が関係していたことがわかる史料が残る。現本殿は元禄14年(1701)のもので、隅木入りの一間社春日造、桟瓦葺である。棟梁は飛田治左衛門である。
小木地区小比叡に建立されている。拝殿は桁行5間、梁間3間、寄棟造平入、茅葺で、建築年代は1600年代前半と推定されている。本殿は寛永17年(1640)の造営で、三間社流造、杮葺である。棟札によると安芸や若狭、越前、武蔵、摂津の工匠が関わる。
畑野地区松ケ崎に建立されている。本殿の慶長期造営は慶長14年(1609)で、大久保長安や富田助右衛門が関係していたことがわかる史料が残る。現本殿は宝暦3年(1753)のもので、三間社入母屋造妻入、銅板葺である。棟梁は小倉の市川與三郎である。
真野地区真野に建立されている。大正6年(1917)に社殿新築で、3代目杢太郎が関わる。大正6年7月から大正9年7月にかけて従事。大正6年9月1日着手。大正9年7月20日落成式。神殿は、正面3間、側面2間、切妻造妻入、銅板葺であり、「神明造」と称している。
新穂地区新穂瓜生屋に建立されている。鐘楼堂は明治元年-5年頃(1868-72)の新築で、初代近陽が関わる。軒廻りは尾垂木および拳鼻付の組物によって賑やかに飾る。彫刻は明治期の佐渡においては突出した装飾傾向を示しており、初代近陽の高い技術力が窺える。
相川地区相川下戸村に建立されている。昭和17年(1942)に社殿新築で、3代目杢太郎が関わる。社殿の図面と遺構を対照すると、拝殿と幣殿は一致するが神殿は異なり、図面は切妻造妻入で装飾は少なく簡素だが、遺構は一間社流造の神殿が建つ。
羽茂地区羽茂飯岡に建立されている。旧本殿は宝永6年(1709)造営で三間社入母屋造平入、杮葺である。工匠は藤井氏五良右衛門昌常、ほか29人。新本殿は昭和9年(1934)造営で正面1間、側面3間、流造、銅板葺で、新本殿に旧本殿が納められている。
佐和田地区二宮に建立されている。明治29年(1896)に本殿改築・幣殿拝殿新築で、2代目杢太郎、3代目杢太郎が関わる。既存の本殿の屋根と向拝を改修し、側面と背面の軒先から板壁を取付けて、幣殿により拝殿と接続している。
真野地区四日町に建立されている。明治4年-5年(1871-72)に本殿・幣殿・拝殿新築で、初代近陽が関わる。本殿は、一間社入母屋造妻入、桟瓦葺である。身舎と向拝の扱いが個性的で、その空間構成に特徴がある。
小木地区小木町に建立されている。本殿の慶長期造営は慶長14年(1609)で、大久保長安や水田与左衛門が関係していたことがわかる史料が残る。この中には羽茂の工匠も関わりが見られる。現本殿は元禄8年(1695)のもので、一間社春日造、桟瓦葺である。
小木地区小比叡の蓮華峰寺境内に建立されている。慶長14年(1609)の造営で、三間堂宝形造、栩葺である。頭梁は富田助右衛門、大工が水田対馬守政次で、ほか16名の工匠が関わる。この中には羽茂の工匠も含まれている。